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山口地方裁判所 昭和27年(行)8号 判決

原告 石田清

被告 山口県知事

主文

山口県農業委員会が昭和二十七年三月二十八日附をもつて別紙(一)目録記載の各土地につきなした訴願棄却の裁決中、同目録甲地(1乃至6)に関する部分を取消す。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を原告の、その余を被告の各負担とする。

事実

第一、原告訴訟代理人は「山口県農業委員会が昭和二十七年三月二十八日別紙(一)目録記載の各土地につきなした訴願裁決を取消す、訴訟費用は被告の負担とする」との判決を求め、その請求の原因として次の通り述べた。

『別紙(一)目録記載の土地(甲地1乃至6及び乙地1乃至5)はいずれも原告の所有であるが、訴外下松市下松地区農業委員会は昭和二十六年十月一日右土地は不在地主の所有農地であるから自作農創設特別措置法(以下自創法という)第三条第一項により買収すべきものであるとしてこれにつき買収計画を樹立し、同年同月二日その旨を公告した上翌三日原告にこれを通知した。そこで原告は同年同月八日右委員会に異議の申立をしたがその頃これを排斥せられたので更に同年同月二十日山口県農業委員会に訴願したところ、同委員会は昭和二十七年三月二十八日附で右訴願について棄却の裁決をなし、その裁決書は同年四月九日原告に送達された。しかしながら右買収計画には次のような違法がある。

一、本件土地中には非農地が存する。即ち(イ)甲地のうち隣接する3・6の両地にまたがる直径約八、五米の円形の部分(約十七、一坪)及び6にある直径約十米の円形の部分(約二十三、七坪)はいずれも戦時中爆弾の落下によって陥没し、耕作の用に供し得なくなつたため放置されていた不毛地であつて農地ではない。(ロ)乙地のうち3の土地の西角隅三坪二合二勺は買収計画樹立以前から今日まで家屋の敷地として使用されて来た宅地であり、4の土地は家屋敷地、物干場、水路地及びその土手であつてその全域が非農地である。従つて右非農地をも農地として定めた本件買収計画は違法である。

二、本件土地はいずれも自創法第五条第五号にいわゆる「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」である。即ち(イ)甲地(1乃至6)はいずれも下松市の中央部たる開作にあつて、国鉄下松駅よりわづか約四百米(徒歩約五、六分)の地点に所在し、その中央を幅八間の国道徳山光線(通称産業道路)が東西に貫通し、右1・2はその南側、3乃至6はその北側にある。その四周は住宅、会社事務所、工場等に囲まれ、特にその北側に沿うて高砂町遊興街がありその北は商店街に連なつている。附近には下松警察署、下松郵便局、広島専売局下松出張所その他の公署が存し、他に農地はない。尚本件買収計画樹立当時甲地の東二十米の地点には南北に通ずる県道高森下松線の道路工事が施行中であつたが現在既に竣工開通しており、又昭和二十四年度の下松市都市計画においては1・2は工業地域に指定され、3乃至6は未指定地域であつたが、昭和二十八年度の同市都市計画においては1・2は準工業地域、3乃至6は商業地域に指定されており、本件訴訟係属中も甲地附近では主要道路の開設拡張、公共建物、会社事務所、住宅等の新築移築が相次いで行われている。しかして甲地については本件買収計画樹立以前からこれを宅地として利用する目的で買受又は借受の申入をする者があり、原告自らもこれを工場又は住宅の敷地として利用する計画を樹てその実現に努力して来たのである。以上のような甲地の位置、環境及び社会的経済的諸事情に照らせば該土地は近く土地使用の目的を変更し宅地化さるべきものである。しかるに下松地区農業委員会は甲地を買収計画から除外すれば県から割当てられた面積が買収できないことを慮り、同地が不在地主の所有農地であるというだけで、前記諸事情を無視して本件買収計画を樹立したのである。(ロ)乙地(1乃至5)はいづれも下松市の繁華街である本町・中市に接続する金屋に所在し、旧国道筋に沿う店舖又は住宅の北側真裏にあつて、その北部は国鉄山陽本線に近接し、その東部の近傍には幅約十米の道路線が計画されている。しかして乙地は前記昭和二十四年度都市計画において既に商業地域又は住居地域に指定されており、下松市が漸次西部に発展しつゝある情勢と相まつて将来性のある土地であるから、従来から該地を店舖乃至住宅の敷地用として買受又は借受を希望する者が多数存するのである。尚本件買収計画樹立後において乙地に近く旧国道を隔ててその南側に野球場が日本石油株式会社によつて新設された。かように乙地は近い将来においてその使用目的を商工又は住宅用地に変更すべき客観的情勢が成熟しているのである。叙上の通りであるから、本件甲乙両地とも自創法第五条第五号に該当し買収から除外すべきものであり、これについて定めた本件買収計画は違法である。

三、農地買収計画において買収の時期を定めなければならない(自創法第六条第二項)のに、下松地区農業委員会における本件買収計画樹立の決議では買収の時期が定められていない。かゝる買収計画手続は違法である。

四、農地買収計画の縦覧書類には農地所有者の住所及び買収の時期をも記載することを要する(自創法第六条第五項)のに本件買収計画の縦覧書類には所有者の住所として単に徳山市と記載されてあるのみでその町名番地を欠き極めて不正確であり、買収の時期の記載はない。かゝる不備な書類を縦覧に供した本件買収手続は違法である。

以上の次第であるから右違法の買収計画を支持し原告の訴願を棄却した本件裁決も亦違法である。よつて本訴において右裁決の取消を求める。』

そして被告の主張に対して次のように述べた。

『爆弾の落下は一時的現象であるが、その災害は一時的なものではない。被爆部分が何時の日にか耕作しうる可能性があるとしても買収計画樹立の時まで約七年間も耕作されないまゝ放置されているものを農地というのは強弁である。被告は乙地の3の一部及び4が非農地であるとの原告主張は時機におくれた攻撃方法であるというが、買収計画の樹立につき最も慎重なるべき地元の農業委員会さえ発見し得なかつた右非農地の存在を原告が最近に至つて発見しその後遅滞なく右主張をなしているのであるからこれについて原告になんらの故意も重過失も存しない。仮にしからずとしても右主張のために特に訴訟の完結を遅延せしめるおそれはないし、右主張が却下されても原告は右非農地について別途買収無効確認訴訟を提起し得るが故に、却下によつて却つて事態を紛糾させ訴訟経済の原則に反することとなるから、いづれにしても被告の右却下の申立は理由がないと信ずる。又前記3のうち三坪二合二勺は小面積であるとはいえ非農地はあくまで非農地であつて、この部分をもつて田の中の電柱部分と同視すべき場合ではなく、3全部が農地とはいえない。尚被告は公共の福祉を云々するが前記非農地の部分はいづれも従前から被爆地、家屋敷地、水路地等であつて全く耕作の用に供されていないのであるから、これら非農地について定めた本件買収計画は当然無効というべきであつて、かゝる買収計画を適法なりとして承認した本件裁決を取消すことこそ法秩序を確立する所以であり、右裁決を取消すことによつて被告主張の如き悪影響や紛争が生ずるものではない。問題は右非農地を違法のまゝ小作人に農地として所有せしめるのが正当か、違法を是正し本来の所有者たる原告にこれを復帰せしめるのが正当かに存し、直接公共の福祉に関するものではない。甲乙両地について自創法第五条第五号の買収除外の指定のないことは認めるが、右指定は法規裁量行為であつて自由裁量行為ではない。従つて前記のように近く土地使用の目的を変更することを相当とする本件農地につき右指定をしないで買収計画を定めることは違法である。しかして右の違法を理由として本件裁決を取消す判決がなされてもこれによつて裁判所が直接農業委員会に代つて右指定をなすものではないから何ら行政権を侵犯するものではない。』

第二、被告指定代理人は「原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、答弁として次の通り述べた。

『原告の主張事実中、本件土地がいずれも原告の所有であつたこと、本件土地に対する買収計画の樹立、公告、通知、異議、訴願が原告主張のような経過を辿り、昭和二十七年四月九日訴願裁決書が原告に送達されたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。本件土地はいずれも小作農地であり、その所有者である原告は徳山市に住所を有する不在地主であつたので本件買収計画が定められたのである。しかして原告主張の被爆部分は爆弾の落下という一時的災害により一時耕作の業務が妨げられているに過ぎず農地としての本質は失われていない。耕作者は一時に被爆部分を復旧するには多額の経費を要するため徐々にその周辺から復旧しているのであつて、被爆当時の面積のうち三分の二以上は既に復旧されている。仮に右被爆部分が農地でないとしてもこれは水田に囲まれ孤立した存在であり、しかもわづかの面積に過ぎないから、これを周囲の水田と共に買収し小作人に売渡せば右被爆部分を復旧して全体について耕作し得るに反し、これを買収から除外しても原告がこの部分を単独で利用すべきなんらの価値がないだけでなく、その周囲の水田の売渡を受けた者との間にあらゆる面において紛争が生ずるのみであつて、右被爆地を買収から除外することは公共の福祉に適合しないから、これが非農地であることを前提とする原告の請求については行政事件訴訟特例法(以下特例法という)第十一条第一項を適用すべきである。又乙地の3の一部分及び4が非農地であるとの原告の主張は時機におくれた攻撃方法であるから、民事訴訟法第百三十九条第一項によつて却下さるべきである。けだし本件審理は昭和二十七年に訴訟係属以来準備手続を経た上口頭弁論が行われてすでに満三年を経過し且つ一たん弁論が終結された後再開されたものであり、原告は弁論終結前に右非農地に関する主張をなさず、弁論再開後に至つて突如かゝる主張を展開するものであつて、このために新たな検証その他の立証を要し著るしく訴訟の完結を遅延させるからである。仮に右抗弁が理由ないとしても3・4は全部農地である。仮に3のうち原告主張の三坪二合二勺が非農地であるとしてもこれを3の総面積二反二畝二十三歩に比較すればとるに足らぬ小部分であり、原告の主張は田地中に立つ電柱の占める面積部分をもつて非農地というに等しい。3は全体として農地というべきである。以上すべてが理由なしとしても右3の一部及び4が非農地であることを前提とする原告の請求については特例法第十一条第一項を適用すべきである。即ち3のうち三坪二合二勺のみを非農地として買収から除外してもこの部分だけを利用すべきなんらの利益をも原告にもたらさないし、他方前記電柱部分だけが他人の所有に属するが如き土地所有の型態が生ずるため田の耕作に著るしい悪影響を及ぼすこと明白である。4はその南北両側が田地に挾まれた細長い土地であつて、この土地に在る水路は農地たる乙地一帯の潅漑用水路であつて水不足の際にはその東側の水門をせき止めて両側3・5等の田地に潅水する必要があり該水路は3・5の耕作の生命線ともいうべきものである。従つて4を買収から除外するときは、このため原告にはこれを単独で利用すべきなんらの利益をもたらさないに反し、両側田地の耕作に及ぼす水利上の不便や将来の紛争は当然予想されるところである。されば右非農地の部分について定めた買収計画乃至これを支持する訴願裁決を取消すことは公共の福祉に適合しないものといわねばならない。次に本件土地はいずれも既に数十年前からの小作田地であり戦時中工業都市といわれた下松市においては各工場が競つてその敷地拡張のために水田を買収し潰廃したに拘らず本件土地は依然水田のまゝ残されて来ている。又若し具体的にその使用目的を変更するのであれば離作、小作地引上の問題が先づ解決さるべきであるのに原告はこの点について触れるところがない。原告は本件土地が買収されることを知つてからあわててその使用目的変更を根拠付ける小細工をしたに過ぎない。要するに本件土地が近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であるとはいえない。仮にそうでないとしても本件土地について自創法第五条第五号所定の農業委員会の指定がなされていない。右指定はいわゆる自由裁量行為であつて、この指定がない以上本件土地を買収から除外しなくても違法ではない。もし右指定がないのに拘らず裁判所が自創法第五条第五号を理由に本件買収計画が違法であると断ずるならばそれは裁判所が農業委員会に代つて右指定をなすに等しく、行政庁の権限を侵し三権分立の原則を破壊するものといわねばならない。よつて結局本件土地は自創法第五条第五号に該当するものではない。更に本件買収計画樹立の決議において買収の時期は定められている。仮にしからずとしても買収手続上買収の時期は客観的に定まつており、市町村農業委員や書記には明白に認識されている上、本件においてはその縦覧書類に右時期が明確に記載されているから、決議においてこれを欠いたとしてもこのために法律関係の不特定や、被買収者の権利擁護に支障を来たすことはない。従つて本件買収計画樹立の決議において右時期を欠いたことは右買収計画の取消原因となる程の瑕疵ではない。』

第三、証拠〈省略〉

理由

別紙(一)目録記載の土地がいずれも原告の所有であつたこと、訴外下松市下松地区農業委員会が右土地は不在地主の所有農地であるとして昭和二十六年十月一日自創法第三条第一項によりこれについて買収計画を樹立し、同年同月二日その旨の公告をなし翌三日原告にこれを通知したこと、原告が同年同月八日右委員会に異議の申立をなしたがその頃これを排斥せられたので、同年同月二十日山口県農業委員会に訴願したところ、同委員会は昭和二十七年三月二十八日附をもつて右訴願棄却の裁決をなし、その裁決書が同年四月九日原告に送達されたことは当事者間に争がない。

そこで先ず本件買収計画の手続上の瑕疵に関する原告の主張について判断する。

一、買収計画樹立の決議において買収の時期が定められていないとの主張について。

成立に争のない甲第一、五、七号証、乙第六号証に証人武居重雄、柴崎光の各証言を綜合すれば、下松市下松地区農業委員会は昭和二十六年十月一日本件土地に対する買収計画の樹立を決議したが、その際の会議録である甲第五号証には右土地の買収の時期についての記載がないこと、当時山口県では買収計画における買収の時期は県の指示に従つて定めることとされていたので、下松地区農業委員会では、買収計画樹立の決議をする際には右時期を取極めず委員会書記が県の指示を仰ぎ県から指定された日時を右時期とすることに了承せられていたゝめ、前記会議録にも買収の時期の記載が省略されていること、同委員会ではその頃右了承事項に基き買収の時期を同年十一月一日として本件土地の買収計画書(乙第六号証)を作成したこと、同年十月三日原告に送達された通知書(甲第一号証)には買収の時期が昭和二十六年十一月一日と明記されてあることが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。しかして本件買収計画の縦覧書類にも買収の時期として右年月日が記載されていること後掲認定の通りである。以上の事実によれば前記農業委員会が本件土地の買収計画樹立について審議する際買収の時期に関し具体的に年月日を定めて決議したものとは認められないけれども、その後同委員会において前記了承に基き買収の時期を記載した買収計画書を作成して手続を進めており、且つ右時期は縦覧書類、通知書の記載によつて外部に公示されているのであるから、爾後の買収手続の混乱や被買収者の不利益が生ずるわけはない。であるから右決議自体において買収の時期を確定しなかつたことをもつて本件買収計画を取消すべき程の瑕疵とはなし難い。よつてこの点の原告の主張は採用できない。

一、縦覧書類の記載に欠くるところがあるとの主張について。

先ず下松地区農業委員会が縦覧に供した書類は甲第七号証であるか乙第六号証であるかについて考える。右甲乙各号証の記載に前示証人武居重雄、柴崎光、証人古米章の各証言を合せ考えると、甲第七号証は本件買収計画を定めた旨及び昭和二十六年十月二日から同年同月十一日まで縦覧に供する旨の告示(公告書類)であり、乙第六号証が縦覧に供されたものであることが認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。従つて本件縦覧書類は乙第六号証であると考えられる。右縦覧書類によれば買収の時期として昭和二十六年十一月一日と記載されてあり、農地所有者の住所として徳山市と記載されてあつて町名番地の記載はない。しかして本件買収計画樹立当時原告の住所が徳山市内にあつたことは原告の明かに争わないところであるから原告においてこれを自白したものと看做す。そうすると右縦覧書類において買収の時期の記載に欠くるところはなく、住所の記載として徳山市と表示しただけでは十分とはいえないが、自創法第六条第五項において縦覧書類に所有者の住所を記載すべきこととされているのは被買収農地の所有者を特定するためであると解せられるから、買収すべき土地の表示と相まつて徳山市に居住し下松市所在の本件土地を所有する石田清といえば被買収者としての原告の特定に明確を欠くとまでは考えられないし、しかも本件買収計画については前示のように直接原告にも通知されているのであるから、右住所が単に徳山市と記載されているに止まるために原告に不利益を生ずるわけでもない。叙上の通りであるから右縦覧書類中農地所有者の住所の記載町名番地を欠いているというだけで本件買収計画手続が違法であるとはいゝ得ない。よつて原告のこの点の主張は採用しない。

次に本件買収計画の内容の瑕疵に関する原告の主張について判断する。

一、本件土地中には非農地が存するとの主張について。

(イ)  先ず甲地の3・6の被爆部分について考える。証人田中保雄、田中清の各証言に検証(第一、二回)の結果を綜合すると、甲地の3と6は隣接していて元来その全域が水田であつたが戦時中空襲の際爆弾の落下によつて右両地に数個の円形の凹地が生じたこと、その後3についてはその耕作者田中保雄が、6についてはその耕作者田中清がそれぞれ徐々にこれを埋立て本件買収計画樹立当時までに二個の被爆凹地を残すほかはこれを復旧して耕作に供していたこと、右当時残存していた被爆地は3と6の両地にまたがる直径約八、五米(面積約十七坪一合)の部分と、6の中央部西北寄りにある直径約十米(面積約二十三坪七合)の部分で(この位置関係は別紙(二)の(イ)甲地略図に表示の通り)前者の被爆面積はもと倍くらいあつたのをその周辺から埋立てて右の面積にまで縮少されたもの、後者はほゞ被爆当時のまゝ残つているものであつて、その深さはいづれも約一米であること、右当時においてもこの二個の部分は埋立てるに困難ではなく単に耕作者の都合で埋立がおくれていたものであること、尚右両部分は昭和二十九年十月四日(第二回検証時)までには埋立が完了し耕作地に復旧していることが認められる。右認定の事実によれば前示二個の被爆部分が本件買収計画樹立当時において耕作の用に供されていなかつたとしてもそれは一時的事情によるもので、何時でも埋立てて容易に耕作し得る状況にあつたものということができ、しかも3の一反五畝二歩、6の二反十歩という面積に比すれば右被爆部分はそのごく一部に過ぎないから、該部分はいづれも未だ農地としての本質が失われていたとは考えられない。従つて3・6は右両部分を含めて全体として自創法にいわゆる農地というべく、この部分を除外せずに3・6全部について買収計画を定めることは違法ではない。よつてこの点の原告の主張は採用できない。

(ロ)  次に乙地の3及び4について考えるが、被告はこの点に関する原告の主張は時機におくれた攻撃方法であるから却下さるべきであると抗弁するので先ずこの点について判断する。本件訴訟は昭和二十七年四月二十四日当裁判所に訴状が提出され、準備手続を経て口頭弁論証拠調が行われた上昭和二十九年五月二十日弁論が終結されたが、同年八月十九日弁論が再開されたところ、その後原告は同年十一月四日の口頭弁論期日において初めて乙地の4の一部が非農地である旨主張し、昭和三十年四月二十八日の同期日において右4はその全部が、3はうち三坪二合二勺が非農地である旨主張するに至つたものであることが本件訴訟記録に徴して明白であり、右主張事実の立証のために新たな証拠調をなす必要のあることも訴訟の経過に照らして明かであつて、右原告主張が時機におくれたもので訴訟の完結を遅延せしめるものであることは否めない。しかしながら弁論の全趣旨によれば原告が真摯に訴訟遂行に努力して来たことが認められ、本件全立証によつても右主張提出のおくれたことが原告の故意又は重大な過失に基くものであるとは認め難いから、被告の右抗弁は採用できない。よつて進んで原告主張の非農地の存否について考える。先づ3についてみるに、証人細野毅の証言によつて成立を認め得る甲第三十六、四十号証、検証(第三回)の結果によれば昭和三十年七月二十九日当時3(田地)のうちその西隅4に接する約三坪二合の部分が埋立てられてあつて該部分は主に通路として使用されていることが認められるが、証人赤石彦馬(第二回)の証言によれば右部分の埋立がなされたのは昭和二十八年頃であつて本件買収計画樹立当時右三坪余の部分はその極く少部分がゴミ捨場に使用されていたほかその殆どすべての部分が田地であつたことが認められるから、本件買収計画樹立当時3はその全体が農地であつたということができ、原告のこの点についての主張は採用の限りでない。次に4についてみるに、成立に争のない甲第九号証の二、前示甲第三十六、四十号証、前示証人細野毅の証言によつて成立を認め得る甲第三十五号証、当裁判所が成立を認める甲第四十一号証の一、二、右証人細野毅、前示証人赤石彦馬(第二回)の各証言、検証(第一、二、三回)の結果及び弁論の全趣旨を綜合すると、4は東北から西南に向け帯状をなす幅平均約二間、長さ約二十間の細長い土地であつて、本件買収計画樹立当時その中央部を東北から西南に流れる幅平均約四尺、西南端でその幅を増して左右に分流する小水路(この面積約十八、六坪)が存し、右水路の両側はこれに続く3・5の田地よりやゝ高くゆるやかな土手状に盛り上げられた畑地で、ほゞその全域に季節の野菜が栽培されており、たゞその西南部右水路の南側約一坪の部分に赤石彦馬所有の簡易なトタン屋根鶏小屋が存していたこと(現在右鶏小屋はなくその跡に物置小屋が建てられている)、右赤石彦馬は4の水路の東南側畑地及びその東南に接する3の耕作者で、同人の居宅は右4の西南端に接しその西側にあつて右鶏小屋のあつたところは同人宅の真裏にあたることが認められるが、右鶏小屋が土地に定着する建造物といえる程度のものであつたことは認められず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。右認定の事実によれば右鶏小屋があつた部分も本来畑地であつて赤石彦馬が右畑の作物等を利用して自家用の鶏を飼うため便宜簡易な小屋掛をしていた程度にすぎないと考えられ、同地上に右の程度の小屋があるというだけで該土地部分をもつて特に買収より除外すべき非農地であるとは認め難い。従つて4は右水路の部分を除きすべて自創法にいわゆる農地というべく、この水路以外の部分についての原告の主張は採用できない。右水路の部分はそれ自体農地とはいえないから、下松地区農業委員会がこれを農地としてこの部分について買収計画を定めたことは違法であり、本件裁決中右水路地の買収計画を支持した部分も亦違法であるといわねばならない。(右水路の部分に関する原告の請求に対して特例法第十一条第一項を適用すべきであるとの被告の主張については後に考察する。)

一、本件土地はいずれも自創法第五条第五号に該当する農地であるとの主張について。

(イ)  先ず甲地について判断する。成立に争のない甲第八、十九、二十、二十三、二十六、二十八号証、第二十二、二十四、二十七号証の各一、第二十一、三十一号証の各一、二、証人石井成就、松村義一、山田孝太郎、{竹高}政亮の各証言及び検証(第一、二回)の結果を綜合すると、甲地1乃至6はいずれも下松市の中枢市街地の西側に接し、国鉄山陽本線下松駅の西方約五百米に位置する水田で、下松市を東南から西北に縦断する幅員約十五米の国道(通称産業道路)を挾んでその西南側道路に沿い1・2が西北から東南の方向に隣接し、その東北側道路沿いに3・6が同方向に隣接し、右3に接しその北側に4・5が連なつていて、右1乃至6は右国道を中心に一団の田地を形成し、その周囲は宅地に囲まれた存在であつて、尚国道の東北側道路に面して3及び6によつてその三方を囲まれた二個所の宅地があり同地上には住宅が存すること(この位置関係は別紙(二)の(イ)甲地略図に表示の通り)、本件買収計画樹立当時甲地の西北側に接する部分には一部戦災跡空地があるほか住宅が建ち並び、東北側は稠密した高砂町遊興街に接し、その東南側は国道より東北の部分が戦時中爆撃によつて一時荒地化したが、戦後埋立てられて昭和二十六年頃までには住宅、会社事務所等の用地として宅地化し、国道より西南の部分は山陽工業株式会社の工場敷地に接し、西南側は小工場住宅等に接していること、右当時甲地の西北方には前記住宅及び道路を隔てて北々東から南々西に流下する切戸川が存するが、北方から東、東南の方向の範囲は前記遊興街のほか稠密した市街地中市本町高砂町に連なり、東南方五十米の地点に前記国道と交叉し東北から西南に通ずる県道高森下松線改修工事が施行中であり、百米の地点には国道に沿い西南側に下松市警察署が、その南側に前記山陽工業株式会社の社宅があり、西南方は前記小工場等を隔てて右会社、広島地方専売局下松出張所(工場)に連なつていて、1・2は工場社宅地帯の北隅に、3乃至6は市街地の西隅にあたつていること、下松市は西方に向け発展すべき情勢にあつて終戦後他より甲地を宅地として利用する目的で借受又は買受の申込があり、原告もまた本件買収計画樹立前からこれを宅地化する計画を有していたこと、尚本件買収計画樹立以後においては、前記県道改修が昭和二十八年三月に完成し、右計画樹立の前後頃から国道の東北側右県道と甲地との間に住宅、会社、病院、ガソリンスタンド等が新築され、右国道と県道との交叉点の西角(もと山陽工業株式会社敷地)に下松市商工会議所が新築され、甲地の東南方で国道、県道に面した部分は公共建物住宅事務所等で稠密化しつゝあること、昭和二十四年度下松市都市計画では1・2は工業地域に指定され、3乃至6は未指定地域であつたが、昭和二十八年に変更された都市計画では1・2は準工業地域に、3・6は商業地域に指定されていること、下松市では昭和二十八年頃3乃至6のうち約五百坪に児童公園を設置する計画を樹てその調査、準備をなしたことを認めることができ、右認定に反する証人武居国市、繁沢惣吉、堀田徳一の各供述部分は前示各証拠に照らして措信し難く、他に右認定を覆すに足る証拠はない。又右証人繁沢惣吉の証言の一部によれば下松地区農業委員会においては本件買収計画の樹立にあたり、県から割当てられた買収予定面積の確保に重点をおき、本件甲地の位置、環境等については十分な考慮が払われていなかつたことが窺われる。叙上認定の甲地の位置、買収計画樹立当時における周辺の土地利用状況その他の諸事情に鑑み、且つ右計画樹立後における甲地附近の土地利用状況の変遷等事後の実情をも考慮するとき、本件買収計画樹立当時、甲地が極めて近い将来に宅地化される蓋然性並びにその相当性は高度のものであつたと認められ、同地は自創法第五条第五号にいわゆる「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」に該当するものと言うことができる。

被告は原告において離作、小作地引上の問題について触れるところがないと主張するけれども、近く土地使用の目的を変更することを相当とするかどうかは客観的に判定すべき事柄であつて、右離作等の問題もその判定の一資料ではあるが、これのみによつて判定すべきものでないこと言をまたないから、既に前叙認定のような客観的事情が存する以上、原告が甲地の離作、小作地引上の点について明かにしないというだけで右認定を左右することはできない。

次に被告は本件甲地が近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地であるとしても、該土地については自創法第五条第五号所定の農業委員会の指定がなく、右指定はいわゆる自由裁量行為であるから、右指定のない以上、これを買収から除外しなくても違法ではないと主張するのでこの点について判断する。甲地について自創法第五条第五号所定の農業委員会による買収除外の指定がなされていないことは原告の認めるところであるが、自創法第五条第五号は、近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地について、これを農地以外の目的に使用することの方が土地の利用価値を増進するという理由で特に買収から除外する旨を定めたものと解せられるから、同法第五条第五号の買収除外の指定は、その性質上行政庁の自由な裁量に委されたものではなく法の予定する一般法則性に従うべきことを要求されているもので、いわゆる法規裁量に属する行為といわなければならない。従つて農地が客観的に近く土地使用の目的を変更することを相当と認められる以上、農業委員会は右買収除外の指定をなすべきであり、かゝる農地について農業委員会が右指定をしないで樹立した買収計画及びこれに対する訴願を棄却する裁決はいずれも違法であつて、農地所有者は右の違法を理由として右買収計画及裁決の取消を訴求し得るものといわねばならない。被告はかゝる訴求を認容することは裁判所が農業委員会に代つて右指定をなすに等しく行政庁の権限を侵し三権分立の原則を破壊するものであると主張するが、農業委員会においてなすべき指定をなさなかつたために右訴求を認容する判決がなされ、これによつて右指定がなされたと同様の結果が生ずるとしても、それは特例法による右違法な買収計画又は裁決を取消す判決の間接の効果であるに止まり、判決によつて裁判所が直接農業委員会に代つて右指定をするものではないから行政庁の権限を侵すものではない。

叙上の次第であるから本件甲地はいずれも第五条第五号により買収から除外すべき農地であつて、本件買収計画中甲地について定めた部分は違法であり、この部分に関する訴願棄却の裁決も亦違法というべきである。よつてこの点において本件裁決中甲地に関する部分の取消を求める原告の請求部分は理由がある。

(ロ)  次に乙地について判断するが、乙地のうち4の水路の部分は前叙のように農地ではないからその余の部分について考える。前示甲第二十三号証、検証(第一、二回)の結果によれば、乙地はいずれも前示下松駅の西北方約一、二粁、市の中心繁華街から相当離れた地点に在つて、下松市西市を経て徳山に至る旧国道(幅員約七米)の東北側沿いに農家、普通住宅、小店舖が混在する一列の家並の裏(東北側)に隣接し、南から北に1・2・3・4・5の順に接続し、本件買収計画樹立当時右1の部分及び4のうち前示水路以外の部分が畑であるほかは水田であること、乙地の北方下松工業高等学校に至る約三百米東北方日本石油株式会社貯油所敷地に至る約三百五十米、東方玉鶴川に至る約五百米、東南方正福寺に至る約三百五十米の範囲内は一面の水田であつて、本件乙地はこの水田地帯の周辺の一部であること、乙地の3・4・5の北部は東々南から西々北に向け右水田地帯を貫通する国鉄山陽本線軌道堤に接し、1乃至5の西部は前示旧国道沿いの住宅地に接しているが、道路に面する部分は全く存しないこと(以上の位置関係は別紙(二)の(ロ)乙地略図に表示の通り)、乙地附近における住宅は右旧国道に沿うて建ち並んでいるほかさほど密でないことが認められ、右認定の乙地の位置、四周の状況からは同地が近い将来において農地以外に転用されるような形勢は見出し難い。尤も前示甲第十九、二十六号証、成立に争のない甲第十四、十五号証、第二十九号証の一、二、前示証人石井成就の証言によれば、前示昭和二十四年度の都市計画において乙地のうち1・2の大部分、3・4・5の各西部約半分は商業地域に、その余の部分は住居地域にそれぞれ指定せられ、昭和二十八年における右計画の用途地域変更に際しても乙地についての右指定は変更されていないこと、下松市において将来乙地中に幅員約四米の区画街路を設ける計画の存することが認められ、前示甲第八、二十三号証、前示証人山田孝太郎(一部)の証言、及び検証(第二回)の結果によれば、下松市は市街地の現況、地形等各種の事情から東方に発展する余地は少く、将来は全体として西方に向け発展する情況にあること、買収計画樹立後乙地の西南方旧国道の西側に野球場が設置され、乙地の東南方に東北から西南に通ずる道路が設けられていることが認められるが、右証人石井成就、山田孝太郎(一部)の証言、検証(第一、二、三回)の結果によれば右下松市都市計画は昭和二十八年以後二十年間の計画を定めたものでその実現には長期間を要し、しかも乙地が市の中心から離れたいわゆる二流地である関係上、右旧国道の東側における乙地附近の土地利用状況、乙地附近の旧国道沿い住宅、店舖等の形成状況は前記道路の開設を除き買収計画樹立以後現在に至るまで特段の変化のないことが認められ、右証人山田孝太郎の証言中乙地が買収から除外されれば直ちに同地上に家が建つとの供述部分はにわかに措信し難い。以上認定の諸般の事実を綜合して考察するとき本件乙地は遠い将来においてはともかく可成り近い将来においてその土地使用の目的が農地以外に変更される蓋然性並びに相当性が高度であるとは認められず、自創法第五条第五号にいわゆる「近く土地使用の目的を変更することを相当とする農地」に該当するものとはいゝ難い。尚甲第十三号証の八、十、九及び十六乃至二十三、並びに甲第三十七号証はいずれもその体裁に照らし成立の真正であることは認められるけれども、その作成年月日がいずれも買収計画樹立以後であること並びに弁論の全趣旨に徴しその記載内容が真実に合するものであるとは認め難く、成立に争のない甲第十六、十七号証の各一によれば原告が山口県知事に対し乙地につき小作地引上許可申請及び農地潰滅許可申請をなしたことが認められるが、その申請日が本件買収計画樹立以後であること右甲号各証の文面上に明かであり、このことと弁論の全趣旨に照らせばその申請の目的が本件訴訟の提起と関係がないとは考えられないから、以上の各甲号証によつても前示認定を左右することはできない。よつて原告のこの点の主張は採用できない。

そうすると本件買収計画中乙地(但し前示4の水路の部分を除く)に関する部分に違法の点はなく、従つて本件裁決中該地に関する部分は違法でないからその取消を求める原告の請求部分は理由がない。

しかして乙地4のうち右水路の部分についての買収計画及び裁決が違法であることはさきに認定した通りであるが、被告はこの部分に関する原告の請求については特例法第十一条第一項を適用すべきであると主張するのでこの点について考える。乙地の4が帯状の土地であつて右水路はその中央部から西南に流れる幅約四尺(本件買収計画樹立当時)のものであることは前示認定の通りであるが、検証(第一、二、三回)の結果前示証人赤石彦馬(第二回)の証言によると、右水路は潅漑用水路であつて前示乙地東北方水田地帯からの潅漑用水が山陽本線軌道の下を潜つてこの水路に流下し、右水路の入口(4の東北端)には水門があつて、此処で3・4・5の北外側沿いにある小水路と交叉していること、3・5等の田地用水が不足する際には右水門を閉鎖して流水をせき止め、右3・5の北沿い小水路からこれらの田に潅水しているものであることが認められ、右認定の事実によれば4を通ずる右用水路地はそれ自体農地とはいえないけれども農地の耕作に必要不可欠のものであり且つその両側の農地に附随するものとして存在価値を有するに止まり、右用水路地自体を単独で利用すべき特段の価値があるものとは考えられない。尚右検証(第三回)の結果によると右用水路は現在その幅が約六尺に拡張された上、その水底及び両側面はコンクリートで固められていて、従前に比し著るしく改善された用水路になつていることが認められ、右拡張工事が耕作者や原告等私人によつてなされたものであることを認め得る証拠はない。叙上認定の諸事実に前叙本件裁決中前記用水路(旧水路)以外の乙地に関する部分が違法でないこと換言すれば右部分の土地の買収が適法であることを合わせ考えると、現況コンクリート水路の一部である旧水路の範囲部分のみを買収から除外してみても、原告がこれを単独で利用すべき特段の価値を見出し難いに反し、右買収除外のため買収、売渡後は4のうち現況水路でもと畑であつた部分及びその両側の農地が耕作者の所有に、旧水路の部分のみが原告の所有となることとなり、しかも検証(第三回)の結果によれば現況水路中旧水路であつた範囲を特定し得べき別段の徴表の存しないことが認められるからこの用水路の利用関係をめぐつて3・5の農地の耕作者に不安不便を与えるのみならず、耕地の潅水に関し両所有者間の紛争を惹起するおそれもあり、仮に現況水路の幅を旧に復するとしてもその範囲の確定、復旧の経費、復旧後の利用関係等についての紛糾を生ずるおそれが存すると考えられる。であるから本件裁決中前記旧水路地に関する部分を取消すことは、耕作者の地位を安定し土地の農業上の利用を増進することを目的とする自創法の精神に反し、公共の福祉に適合しないものといわなければならない。しかして本訴は訴願裁決の無効確認を求める訴ではなく且つその実質においても前認定にかゝる右旧水路の位置面積、利用状況及びその価値等からみて該水路地について定めた買収計画及びこの部分に関する訴願裁決の瑕疵が重大且つ根本的なものであるとは認め難いから右処分が当然無効であるとはいゝ得ない。よつて本件裁決中右水路地に関する部分の取消を求める原告の請求部分については特例法第十一条第一項を適用してこれを棄却すべきものと考える。

以上の次第であるから結局本訴請求中甲地1乃至6に関する部分はこれを認容し、その余の部分はいずれもこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用した上、主文の通り判決する。

(裁判官 河辺義一 藤田哲夫 野間礼二)

(別紙省略)

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